谷川岳一ノ倉沢に魅せられてー死の山に宿る神々しき岩壁の美

谷川岳一ノ倉沢――“死の山”と恐れられながらも、多くの人を魅了してきた圧倒的な岩壁。その神々しさと静寂に包まれた朝の光景を、大判カメラで追い続けた日々を振り返ります。

死の山と呼ばれた谷川岳一ノ倉沢

遭難者800人超、恐れと憧れの対象

谷川岳一ノ倉沢といえば、「死の山」として知られる場所です。古くから多くのクライマーたちがその圧倒的な岸壁に魅せられ、挑み続けてきました。しかし、その険しさゆえに命を落とした登山者も少なくありません。1931年以来、谷川岳全体での遭難死亡者は800人を超えるとされ、その多くが一ノ倉沢で発生しています。

中でも、衝立岩と呼ばれる垂直にそそり立つ岸壁は、高さ約400メートル。アメリカ・ヨセミテ国立公園の「エル・キャピタン」にも例えられるほどの圧倒的存在感を放っています。その姿は、恐ろしさを超えて、神々しさすら感じさせるものです。

初めて一ノ倉沢を見た日の衝撃

圧倒的な自然の造形が放つ神々しさ

私は登山家でもなければ、ロッククライミングの経験もありません。それでも初めてこの場所を目にしたとき、思わず息を呑みました。あの時の感動は、上高地で初めて穂高岳を見たときに匹敵するものでした。巨大な岩壁はまるで自然がつくり出した芸術作品のようで、手を伸ばせば届きそうな距離でこちらを誘っているように見えました。

もちろん、私に登る力はなく、ただその姿を静かに見つめるだけでしたが、それでも惹きつけられる理由は十分にありました。アクセスの良さも魅力の一つです。北アルプスのような長いアプローチはなく、関越自動車道・水上ICからわずか20分ほどで到着できてしまうのです。

大判カメラで捉える岩肌の質感

Horseman 4×5で挑んだ静寂の朝

当時、私は新潟県の六日町に住んでおり、自宅から一ノ倉沢までは車でおよそ1時間の距離でした。朝4時に出発すれば、5時半には現地に到着。撮影を終えても8時半には帰宅し、出勤することができました。天気が良い日は、まるで日課のように通ったものです。

愛機はHorseman 4×5。ジッツォの三脚を車の後部座席に積み、前日に装填しておいたフィルムを10枚ほど持参して撮影に臨みました。当時は一ノ倉沢の直前まで自家用車で入ることができたので、機材の運搬もそれほど苦ではありませんでした。

暗いうちに現地に着くと、すでに数人のカメラマンが三脚を構えており、私もその一角に加わって朝日が差す瞬間を待ちました。大型カメラでは、暗幕をかぶってすりガラスの像をルーペで覗きながらピントを合わせます。その光景もまた、静かな緊張感に満ちていました。

光の角度で変わる岩の表情

一ノ倉沢には限られたビューポイントしかないため、構図は似通ってしまいます。しかし、光の入り方によって岩肌の表情は毎回微妙に変わります。特に衝立岩の質感は、大判カメラだからこそ捉えられる複雑で繊細な模様を見せてくれます。残念ながら、ウェブ上のJPEG画像ではその細やかさを完全に再現することはできませんが、現場で見る岩肌の迫力と気配は、今も強く記憶に残っています。

前穂高の岸壁も見応えがありますが、一ノ倉沢はそれ以上に岩が迫ってくるような臨場感があります。朝日の前の静寂と、陽が差して岩肌が赤く輝く瞬間。その一瞬に、冷たさと生命の鼓動が同居する――そんな場所です。

今も心に残る一ノ倉沢の姿

「死の山」と呼ばれる一ノ倉沢。しかしその名の奥には、神秘と美、そして人を惹きつけてやまない力が宿っています。

今は富山に住んでいるため、かつてのように毎朝通うことはできませんが、いつかまた、あの神々しい岩壁に朝日が射す瞬間を見たいと思っています。

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医師・アマチュア写真家

写真とオーディオを趣味としています。風景写真が主体ですが、最近は我が家のペットの写真を多く撮るようになりました。

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